草枕(6)



        六

 夕暮の机に向う。障子も襖(ふすま)も開(あ)け放(はな)つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞(ふるま)う境(きょう)を、幾曲(いくまがり)の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩(わずらい)にはならぬ。今日は一層(ひとしお)静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間(ま)に、われを残して、立ち退(の)いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞(かすみ)の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵(かじ)をとるさえ懶(ものう)き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境(さかい)に漂(ただよ)い来て、果(は)ては帆みずからが、いずこに己(おの)れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥(はる)かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大(しだい)が、今頃は目に見えぬ霊氛(れいふん)となって、広い天地の間に、顕微鏡(けんびきょう)の力を藉(か)るとも、些(さ)の名残(なごり)を留(とど)めぬようになったのであろう。あるいは雲雀(ひばり)に化して、菜(な)の花の黄(き)を鳴き尽したる後(のち)、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻(あぶ)のつとめを果したる後、蕋(ずい)に凝(こ)る甘き露を吸い損(そこ)ねて、落椿(おちつばき)の下に、伏せられながら、世を香(かん)ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
 空(むな)しき家を、空しく抜ける春風(はるかぜ)の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒(こば)むものへの面当(つらあて)でもない。自(おのず)から来(きた)りて、自から去る、公平なる宇宙の意(こころ)である。掌(たなごころ)に顎(あご)を支(ささ)えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空(むな)しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣(きづかい)も起(おこ)る。戴(いただ)くは天と知る故に、稲妻(いなずま)の米噛(こめかみ)に震(ふる)う怖(おそれ)も出来る。人と争(あらそ)わねば一分(いちぶん)が立たぬと浮世が催促するから、火宅(かたく)の苦(く)は免かれぬ。東西のある乾坤(けんこん)に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎(あだ)である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉(ほまれ)とは、小賢(こざ)かしき蜂(はち)が甘く醸(かも)すと見せて、針を棄(す)て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽(たのしみ)は物に着(ちゃく)するより起るが故(ゆえ)に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客(がかく)なるものあって、飽(あ)くまでこの待対(たいたい)世界の精華を嚼(か)んで、徹骨徹髄(てっこつてつずい)の清きを知る。霞(かすみ)を餐(さん)し、露を嚥(の)み、紫(し)を品(ひん)し、紅(こう)を評(ひょう)して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着(ちゃく)するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々(ぼうぼう)たる大地を極(きわ)めても見出(みいだ)し得ぬ。自在(じざい)に泥団(でいだん)を放下(ほうげ)して、破笠裏(はりつり)に無限(むげん)の青嵐(せいらん)を盛(も)る。いたずらにこの境遇を拈出(ねんしゅつ)するのは、敢(あえ)て市井(しせい)の銅臭児(どうしゅうじ)の鬼嚇(きかく)して、好んで高く標置(ひょうち)するがためではない。ただ這裏(しゃり)の福音(ふくいん)を述べて、縁ある衆生(しゅじょう)を麾(さしまね)くのみである。有体(ありてい)に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足(にんにんぐそく)の道である。春秋(しゅんじゅう)に指を折り尽して、白頭(はくとう)に呻吟(しんぎん)するの徒(と)といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸(しゅうがい)に洩(も)れて、吾(われ)を忘れし、拍手(はくしゅ)の興(きょう)を喚(よ)び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐(いきがい)のない男である。
 されど一事(いちじ)に即(そく)し、一物(いちぶつ)に化(か)するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁(いちべん)の花に化し、あるときは一双(いっそう)の蝶(ちょう)に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風(たくふう)の裏(うち)に撩乱(りょうらん)せしむる事もあろうが、何(なん)とも知れぬ四辺(しへん)の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物(なにもの)ぞとも明瞭(めいりょう)に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気(こうき)に触るると云うだろう。ある人は無絃(むげん)の琴(きん)を霊台(れいだい)に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に※(「にんべん+亶」、第3水準1-14-43)※(「にんべん+回」、第3水準1-14-18)(せんかい)して、縹緲(ひょうびょう)のちまたに彷徨(ほうこう)すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木(からき)の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡(しんり)の状態は正(まさ)にこれである。
 余は明(あきら)かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚(こうこつ)と動いている。
 強(し)いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹(せんたん)に練り上げて、それを蓬莱(ほうらい)の霊液(れいえき)に溶(と)いて、桃源(とうげん)の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間(ま)に毛孔(けあな)から染(し)み込んで、心が知覚せぬうちに飽和(ほうわ)されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明(ふぶんみょう)であるから、毫(ごう)も刺激がない。刺激がないから、窈然(ようぜん)として名状しがたい楽(たのしみ)がある。風に揉(も)まれて上(うわ)の空(そら)なる波を起す、軽薄で騒々しい趣(おもむき)とは違う。目に見えぬ幾尋(いくひろ)の底を、大陸から大陸まで動いている※(「さんずい+(廣-广)」、第3水準1-87-13)洋(こうよう)たる蒼海(そうかい)の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念(けねん)が籠(こも)る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈(はげ)しき力の銷磨(しょうま)しはせぬかとの憂(うれい)を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕(とら)え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞(おそれ)を含んではおらぬ。冲融(ちゅうゆう)とか澹蕩(たんとう)とか云う詩人の語はもっともこの境(きょう)を切実に言い了(おお)せたものだろう。
 この境界(きょうがい)を画(え)にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前(がんぜん)の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過(ろくか)して、絵絹(えぎぬ)の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事(のうじ)は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地(いっとうち)を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣(おもむき)を添えて、画布の上に淋漓(りんり)として生動(せいどう)させる。ある特別の感興を、己(おの)が捕えたる森羅(しんら)の裡(うち)に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭(めいりょう)に筆端に迸(ほとば)しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己(おの)れはしかじかの事を、しかじかに観(み)、しかじかに感じたり、その観方(みかた)も感じ方も、前人(ぜんじん)の籬下(りか)に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
 この二種の製作家に主客(しゅかく)深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明(ぶんみょう)なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞(こぶ)して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑(こうろく)の色は無論、濃淡の陰、洪繊(こうせん)の線(すじ)を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横(よこた)わる、一定の景物でないから、これが源因(げんいん)だと指を挙(あ)げて明らかに人に示す訳(わけ)に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否(いや)この心持ちをいかなる具体を藉(か)りて、人の合点(がてん)するように髣髴(ほうふつ)せしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好(かっこう)なる対象を択(えら)ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏(まとま)らない。纏っても自然界に存するものとは丸(まる)で趣(おもむき)を異(こと)にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描(えが)いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上(さ)した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)(しょうきょう)しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績(いさおし)を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派(りゅうは)に指を染め得たるものを挙(あ)ぐれば、文与可(ぶんよか)の竹である。雲谷(うんこく)門下の山水である。下って大雅堂(たいがどう)の景色(けいしょく)である。蕪村(ぶそん)の人物である。泰西(たいせい)の画家に至っては、多く眼を具象(ぐしょう)世界に馳(は)せて、神往(しんおう)の気韻(きいん)に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外(ぶつがい)の神韻(しんいん)を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
 惜しい事に雪舟(せっしゅう)、蕪村らの力(つと)めて描出(びょうしゅつ)した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画(え)にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖(ほおづえ)をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子(わがこ)を尋ね当てるため、六十余州を回国(かいこく)して、寝(ね)ても寤(さ)めても、忘れる間(ま)がなかったある日、十字街頭にふと邂逅(かいこう)して、稲妻(いなずま)の遮(さえ)ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵(ののし)られても恨(うらみ)はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直(きょくちょく)がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻(ふういん)のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭(いと)わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖(じょう)のなかへ落ち込むまで、工夫(くふう)したが、とても物にならん。
 鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的(ちゅうしょうてき)な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
 たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼(せま)られて生まれた自然の声であろう。楽(がく)は聴(き)くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界(きょうがい)もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏(しんり)の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次(ていじ)に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来(きた)り、二が消えて三が生まるるがために嬉(うれ)しいのではない。初から窈然(ようぜん)として同所(どうしょ)に把住(はじゅう)する趣(おもむ)きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排(あんばい)する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情(けいじょう)を詩中に持ち来って、この曠然(こうぜん)として倚托(きたく)なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕(とら)え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗(しんちょく)する出来事の助けを藉(か)らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充(み)たしさえすれば、言語をもって描(えが)き得るものと思う。
 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画(え)にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖(と)がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫(ごう)も運動させる訳(わけ)に行かなかった。急に朋友(ほうゆう)の名を失念して、咽喉(のど)まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦(あきら)めると、出損(でそく)なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
 葛湯(くずゆ)を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸(はし)に手応(てごたえ)がないものだ。そこを辛抱(しんぼう)すると、ようやく粘着(ねばり)が出て、攪(か)き淆(ま)ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋(なべ)の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
 手掛(てがか)りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、

青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※(「虫+蕭」、第4水準2-87-94)蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易(やす)かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情(じょう)を、次には咏(うた)って見たい。あれか、これかと思い煩(わずら)った末とうとう、

独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※(「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)白雲郷。
と出来た。もう一返(いっぺん)最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入(はい)った神境を写したものとすると、索然(さくぜん)として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖(ふすま)を引いて、開(あ)け放(はな)った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿(ふりそですがた)のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側(えんがわ)を寂然(じゃくねん)として歩行(あるい)て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
 花曇(はなぐも)りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干(らんかん)に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間(けん)の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥(しょうりょう)と見えつ、隠れつする。
 女はもとより口も聞かぬ。傍目(わきめ)も触(ふ)らぬ。椽(えん)に引く裾(すそ)の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行(ある)いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様(すそもよう)は何を染め抜いたものか、遠くて解(わ)からぬ。ただ無地(むじ)と模様のつながる中が、おのずから暈(ぼか)されて、夜と昼との境のごとき心地(ここち)である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装(よそおい)をして、この不思議な歩行(あゆみ)をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝(ゆ)く春の恨(うらみ)を訴うる所作(しょさ)ならば何が故(ゆえ)にかくは無頓着(むとんじゃく)なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅(きら)を飾れる。
 暮れんとする春の色の、嬋媛(せんえん)として、しばらくは冥※(「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)(めいばく)の戸口をまぼろしに彩(いろ)どる中に、眼も醒(さ)むるほどの帯地(おびじ)は金襴(きんらん)か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然(そうぜん)たる夕べのなかにつつまれて、幽闃(ゆうげき)のあなた、遼遠(りょうえん)のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦(きら)めき渡る春の星の、暁(あかつき)近くに、紫深き空の底に陥(おち)いる趣(おもむき)である。
 太玄(たいげん)の※(「門<昏」、第3水準1-93-52)(もん)おのずから開(ひら)けて、この華(はな)やかなる姿を、幽冥(ゆうめい)の府(ふ)に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏(きんびょう)を背に、銀燭(ぎんしょく)を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装(よそおい)の、厭(いと)う景色(けしき)もなく、争う様子も見えず、色相(しきそう)世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼(せま)る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦(せ)きもせず、狼狽(うろたえ)もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊(はいかい)しているらしい。身に落ちかかる災(わざわい)を知らぬとすれば無邪気の極(きわみ)である。知って、災と思わぬならば物凄(ものすご)い。黒い所が本来の住居(すまい)で、しばらくの幻影(まぼろし)を、元(もと)のままなる冥漠(めいばく)の裏(うち)に収めればこそ、かように間※(「(靜-爭)+見」、第3水準1-93-75)(かんせい)の態度で、有(う)と無(む)の間(あいだ)に逍遥(しょうよう)しているのだろう。女のつけた振袖に、紛(ふん)たる模様の尽きて、是非もなき磨墨(するすみ)に流れ込むあたりに、おのが身の素性(すじょう)をほのめかしている。
 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚(うつつ)のままで、この世の呼吸(いき)を引き取るときに、枕元に病(やまい)を護(まも)るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐(いきがい)のない本人はもとより、傍(はた)に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦(あき)らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科(とが)があろう。眠りながら冥府(よみ)に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果(はた)すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃(のが)れぬ定業(じょうごう)と得心もさせ、断念もして、念仏を唱(とな)えたい。死ぬべき条件が具(そな)わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と回向(えこう)をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮(か)りの眠りから、いつの間(ま)とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩(ぼんのう)の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏(おだや)かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡(うち)から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否(いな)や、何だか口が聴(き)けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端(とたん)に、女はまた通る。こちらに窺(うかが)う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵(みじん)も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手(しょて)から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々(しょうしょう)と封じ了(おわ)る。
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底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年2月17日公開
2004年2月26日修正
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