六
夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境を、幾曲の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。今日は一層静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間に、われを残して、立ち退いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵をとるさえ懶き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境に漂い来て、果ては帆みずからが、いずこに己れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大が、今頃は目に見えぬ霊氛となって、広い天地の間に、顕微鏡の力を藉るとも、些の名残を留めぬようになったのであろう。あるいは雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻のつとめを果したる後、蕋に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿の下に、伏せられながら、世を香ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙の意である。掌に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。東西のある乾坤に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉とは、小賢かしき蜂が甘く醸すと見せて、針を棄て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客なるものあって、飽くまでこの待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。霞を餐し、露を嚥み、紫を品し、紅を評して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。自在に泥団を放下して、破笠裏に無限の青嵐を盛る。いたずらにこの境遇を拈出するのは、敢て市井の銅臭児の鬼嚇して、好んで高く標置するがためではない。ただ這裏の福音を述べて、縁ある衆生を麾くのみである。有体に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足の道である。春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐のない男である。
されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の蝶に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風の裏に撩乱せしむる事もあろうが、何とも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気に触るると云うだろう。ある人は無絃の琴を霊台に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域にして、縹緲のちまたに彷徨すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木の机に憑りてぽかんとした心裡の状態は正にこれである。
余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚と動いている。
強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽がある。風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いている洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞を含んではおらぬ。冲融とか澹蕩とか云う詩人の語はもっともこの境を切実に言い了せたものだろう。
この境界を画にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋漓として生動させる。ある特別の感興を、己が捕えたる森羅の裡に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の籬下に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
この二種の製作家に主客深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑の色は無論、濃淡の陰、洪繊の線を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横わる、一定の景物でないから、これが源因だと指を挙げて明らかに人に示す訳に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否この心持ちをいかなる具体を藉りて、人の合点するように髣髴せしめ得るかが問題である。
普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏らない。纏っても自然界に存するものとは丸で趣を異にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命をしがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文与可の竹である。雲谷門下の山水である。下って大雅堂の景色である。蕪村の人物である。泰西の画家に至っては、多く眼を具象世界に馳せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。楽は聴くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初から窈然として同所に把住する趣きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠然として倚托なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出来事の助けを藉らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。
議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫も運動させる訳に行かなかった。急に朋友の名を失念して、咽喉まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦めると、出損なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手応がないものだ。そこを辛抱すると、ようやく粘着が出て、攪き淆ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手掛りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。
蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り
易かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない
情を、次には
咏って見たい。あれか、これかと思い
煩った末とうとう、
独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬
白雲郷。
と出来た。もう
一返最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた
入った神境を写したものとすると、
索然として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、
襖を引いて、
開け
放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。
振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の
椽側を
寂然として
歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の
欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六
間の中庭を隔てて、重き空気のなかに
蕭寥と見えつ、隠れつする。
女はもとより口も聞かぬ。
傍目も
触らぬ。
椽に引く
裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに
歩行いている。腰から下にぱっと色づく、
裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて
解からぬ。ただ
無地と模様のつながる中が、おのずから
暈されて、夜と昼との境のごとき
心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な
装をして、この不思議な
歩行をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。
逝く春の
恨を訴うる
所作ならば何が
故にかくは
無頓着なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは
綺羅を飾れる。
暮れんとする春の色の、
嬋媛として、しばらくは
冥の戸口をまぼろしに
彩どる中に、眼も
醒むるほどの
帯地は
金襴か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ
蒼然たる夕べのなかにつつまれて、
幽闃のあなた、
遼遠のかしこへ一分ごとに消えて去る。
燦めき渡る春の星の、
暁近くに、紫深き空の底に
陥いる
趣である。
太玄の
おのずから
開けて、この
華やかなる姿を、
幽冥の
府に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。
金屏を背に、
銀燭を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの
装の、
厭う
景色もなく、争う様子も見えず、
色相世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と
逼る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、
焦きもせず、
狼狽もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を
徘徊しているらしい。身に落ちかかる
災を知らぬとすれば無邪気の
極である。知って、災と思わぬならば
物凄い。黒い所が本来の
住居で、しばらくの
幻影を、
元のままなる
冥漠の
裏に収めればこそ、かように
間の態度で、
有と
無の
間に
逍遥しているのだろう。女のつけた振袖に、
紛たる模様の尽きて、是非もなき
磨墨に流れ込むあたりに、おのが身の
素性をほのめかしている。
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、
幻覚のままで、この世の
呼吸を引き取るときに、枕元に
病を
護るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、
生甲斐のない本人はもとより、
傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と
諦らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の
科があろう。眠りながら
冥府に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を
果すと同様である。どうせ殺すものなら、とても
逃れぬ
定業と得心もさせ、断念もして、念仏を
唱えたい。死ぬべき条件が
具わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、
南無阿弥陀仏と
回向をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。
仮りの眠りから、いつの
間とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった
煩悩の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、
穏かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの
裡から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや
否や、何だか口が
聴けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる
途端に、女はまた通る。こちらに
窺う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、
微塵も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、
初手から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、
蕭々と封じ
了る。
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底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年2月17日公開
2004年2月26日修正
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