門(14)
十四
自然の
彼らはこの
彼らは人並以上に
宗助は相当に資産のある東京ものの子弟として、彼らに共通な
彼は生れつき理解の好い男であった。したがって大した勉強をする気にはなれなかった。学問は社会へ出るための方便と心得ていたから、社会を一歩
その頃の宗助は今と違って多くの友達を持っていた。実を云うと、軽快な彼の眼に映ずるすべての人は、ほとんど誰彼の区別なく友達であった。彼は敵という言葉の意味を正当に解し得ない楽天家として、若い世をのびのびと渡った。
「なに不景気な顔さえしなければ、どこへ行ったって
「君は
宗助はこんな新らしい
「もうこんな古臭い所には厭きた」と云った。
安井は笑いながら、比較のため、自分の知っている或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは
「そう云う所に、人間がよく生きていられるな」と不思議そうな顔をして安井に云った。安井も笑っていた。そうして
その時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり徊
学年の終りに宗助と安井とは再会を約して手を分った。安井はひとまず郷里の福井へ帰って、それから横浜へ行くつもりだから、もしその時には手紙を出して通知をしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へ
宗助が東京へ帰ったときは、父は
彼の未来は封じられた
父の云いつけで、毎年の通り虫干の手伝をさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。彼は冷たい風の吹き通す土蔵の
とかくするうちに
彼はこの間にも安井と約束のある事は忘れなかった。
立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滞在した上、京都へ着いてからの当分の
「なるたけ
宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時のごとくに聞いた。父はまた、
「来年また帰って来るまでは会わないから、随分気をつけて」と云った。その帰って来る時節には、宗助はもう帰れなくなっていたのである。そうして帰って来た時は、父の
いよいよ立つと云う
翌日も約束通り一人で
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、往来の日影を知らずに暮らした。二日目になってようやく学校へ出て見ると、教師はまだ
「世話って、ただ
それから一週間ほどは、学校へ出るたんびに、今日は安井の顔が見えるか、
宗助は着流しのまま
その晩彼は宗助と一時間余りも雑談に
「それでどこに」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊っている宿屋の名前を、宗助に教えた。それは三条
「どうして、そんな所へ
「下宿生活はもうやめて、小さい
それから一週間ばかりの中に、安井はとうとう宗助に話した通り、学校近くの閑静な所に一戸を構えた。それは京都に共通な暗い陰気な作りの上に、柱や
宗助のここを訪問したのは、十月に少し間のある学期の始めであった。残暑がまだ強いので宗助は学校の往復に、
座敷へ通ってしばらく話していたが、さっきの女は全く顔を出さなかった。声も立てず、音もさせなかった。広い家でないから、つい隣の部屋ぐらいにいたのだろうけれども、いないのとまるで違わなかった。この影のように静かな女が御米であった。
安井は郷里の事、東京の事、学校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御米の事については
次の日二人が顔を合したとき、宗助はやはり女の事を胸の中に記憶していたが、口へ出しては
その日曜に彼はまた安井を
この予期の
安井は御米を紹介する時、
「これは僕の
「今まで御国の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、
「いや横浜に長く」と答えた。
その日は二人して町へ買物に出ようと云うので、御米は
「なに
「
宗助はこの三四分間に取り換わした互の言葉を、いまだに覚えていた。それはただの男がただの女に対して人間たる
宗助は
宗助は二人で門の前に
今考えるとすべてが明らかであった。したがって何らの奇もなかった。二人は土塀の影から再び現われた安井を待ち合わして、町の方へ歩いた。歩く時、男同志は肩を並べた。御米は
けれども彼の頭にはその日の印象が長く残っていた。家へ帰って、湯に入って、徊
こう云う記憶の、しだいに沈んで
そのうちまた秋が来た。去年と同じ事情の
「京都は好い所ね」と云って二人を
こう
こんな事が重なって行くうちに、
医者は少し呼吸器を
「遊びに来たまえ」と安井が云った。
「どうぞ是非」と御米が言った。
汽車は血色の好い宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向って煙を
病人は転地先で年を越した。
明るい
次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。松の幹から
宗助はもっと遊んで行きたいと云った。御米はもっと遊んで行きましょうと云った。安井は宗助が遊びに来たから好い天気になったんだろうと云った。三人はまた
宗助は当時を
世間は容赦なく彼らに徳義上の罪を
これが宗助と御米の過去であった。
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底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年3月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:高橋知仁
1999年4月22日公開
2004年2月28日修正
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